
値段の中には、誰かの手間が入っている。
テレビを見ていて、元気がなくなる伝え方があります
皆さんはどう感じているか分かりませんが、私には、テレビを見ていて少し元気がなくなってくる伝え方があります。
いろいろな料理屋さんを回って、「このお値段で、このボリューム」と紹介する番組です。
安くて、おいしくて、量も多い。
画面の向こうでは、山盛りのお皿を前にお客さんが笑っています。
先に書いておきます。
お店を責めたいわけではありません。
お店の方はその値段に納得して出している。お客さんも喜んでいる。
それでいいじゃないか。 そう感じる方が大多数だと思いますし、私もそう思う部分があります。
それでも、ひとつだけ引っかかっています。
このままで、いいのでしょうか。
今日は、最近のニュースを見ていて感じた、ちょっとした気づきの話です。ぼやきに近いかもしれません。
「安すぎる」と言われているのは、誰の仕事なのか
いま日本には、海外からたくさんの旅行客が来ています。
日本の食事や商品を見て「安すぎる」と驚く声は、ニュースでもよく取り上げられています。
皆さんも、一度は耳にしたことがあると思います。
金沢も、海外からのお客さんが多い街です。石川県にとっても、他人事の言葉ではありません。
私が気になっているのは、この言葉を間接的に聞いている、働く人のほうです。
その料理を作っている人。その商品を棚に並べている人。その宿で部屋を整えている人。
「安すぎる」と聞いて、何を思っているのでしょうか。
「そうか、私の仕事はそんなに安いんだ」
と、少し投げやりになっているのか。 それとも、もう何も感じないのか。
私には、答えが分かりません。
ただ、褒め言葉のつもりで言われた「安い」が、働く人の耳には別の意味で届いているのかもしれない。
そう思うのです。
私がこの言い方に引っかかるようになった理由
こういう疑問を持つようになったのは、私自身が、個人で参加者からお金をいただいてセミナーを開いているからです。
講師の仕事には、団体や行政に呼ばれて話す会と、自分で値段を書いて募集する会があります。
この2年間で80回以上登壇してきましたが、自分で値段を書く会を始めてから、値段の見え方が変わりました。 (参加費5,000円の会を開いている理由は、こちらに書きました )
自分で値段を書くと、その数字の中に何が入っているかを、嫌でも考えます。
準備にかけた時間、資料を直した回数、当日までのやりとり。
そして、その中身のほとんどは、参加する方からは見えません。
見えないものは、値段の説明に入りません。 入らないまま、数字だけが比べられていきます。
「ただだからありがたい」「コスパがいい」の裏で、失っているもの
「ただだからありがたい」「コスパがいいから嬉しい」。
私もそう感じることがあります。安くて良いものに出会えば、素直にうれしいです。
ただ、この言葉が当たり前になった背景で、何か大事なものを失っているような気がするのです。
それは、値段の中に入っている「人の手間」を見る目ではないかと思っています。
「このお値段でこのボリューム」という伝え方は、手間を値段の外に置きます。
仕込みに何時間かかったのか、どれだけ工夫を重ねたのかは語られず、「安い」と「多い」だけが褒められる。
褒められるほど、手間はタダのものとして扱われていく。
そして、それを毎日見ている働く人が、いつの間にか自分の仕事の値段を低く見積もるようになる。
私がテレビの前で元気がなくなる理由は、たぶんここにあります。
なぜ適正価格は、こんなに決めにくいのか
では、いくらが適正な価格なのか。 正直に書くと、私にも分かりません。
何をもって適正価格というのか、難しいところだと思っています。
材料や経費を足せば決まる、という話ではありません。
周りと比べると下がり、自分の手間を数えると上がる。
そして多くの人は、自分の手間を低く数えがちです。私もそうです。
企業の方に、ひとつだけ問いを置かせてください。
生成AIやデジタルの道具で仕事が速くなったとき、浮いた時間を、また値下げに回していないでしょうか。
速くなった分を安さで返すと、「安くて多い」の伝え方はさらに強くなります。
浮いた時間を、人や品質に戻すという使い方もあるはずです。
答えは出せない。ただ、伝え方は選べる
適正価格の答えは、この記事では出せません。
ただ、伝え方は選べます。
「安くて多い」ではなく、「この値段の中に、何が入っているか」を語る。
お店なら仕込みの話を、会社ならその仕事にかけている工夫を、一言でいいので値段の横に添えてみる。
値段を下げる前に、値段の中身を一度、言葉にしてみる。
石川県の小さなお店や事業所にこそ、その言葉はたくさん眠っていると思っています。
皆さんの仕事は、いくらだと思いますか。 その値段の中に、何が入っていますか。


