
鍵を渡す手順はどの会社にもある。返してもらう手順は、どこにも書かれていない。
私はまだ、そのSNSに入れました
以前、とある企業の販促をお手伝いしていた頃の話です。
SNSの運用を任され、IDとパスワードを預かって、投稿から返信まで代わりにやっていました。
中小企業ではよくある形だと思います。
専任の担当者を置く余裕はないけれど、発信は止めたくない。
だから外に出す。合理的な判断です。
契約が終わり、最後の請求も済み、関係はきれいに終わりました。
それから数ヶ月経った頃です。
パソコンに保存されたログイン情報の一覧をたまたま眺めていて、手が止まりました。
あの会社のアカウントの、IDとパスワードが、まだそこにありました。
試したわけではありません。
ただ、パスワードが変わったという連絡は一度も来ていませんでした。
先方に落ち度があったと言いたいのではありません。
担当者の方はとても誠実な人でしたし、悪意など欠片もなかった。
ただ、本部にアカウントを管理できる人がいなかった。それだけの話です。
(※現在、当該の情報はすべて破棄しています。この記事は2026年8月時点の話として書いています)
これは「退職者アカウント」と同じ話です
社員が辞めたのに、その人のメールアドレスやクラウドサービスのアカウントが止まっていない。
よく指摘される話です。
石川県内の中小企業でも、研修に伺うと「言われてみれば、あの人のアカウント、どうなってたかな」という声を何度も聞きました。
私がお伝えしたいのは、これとまったく同じことが、外部への委託が終わったときにも起きているということです。
構造は同じです。
入社したとき、契約が始まったときの手順は、たいていの会社で決まっています。
誰かがアカウントを作り、権限を付け、パスワードを教える。滞りなく進みます。
ところが、辞めたとき、契約が終わったときの手順だけが、誰の仕事でもない。
総務の仕事なのか、現場の仕事なのか、社長の仕事なのか、決まっていない。
決まっていない仕事は、やられません。
渡す手順はあるのに、返してもらう手順がない。これが穴の正体です。
委託のほうが、少し厄介です
退職者アカウントは「止め忘れ」です。止められる人は社内にいる。気づけば対処できます。
一方、外部に渡したアカウントの場合、そもそも止められる人が社内にいないことがあります。
SNSは特にそうなりやすい。
もともと「詳しい人が一人でやっていた」ものが多く、その人が忙しくなったから外に出す、という流れで委託が始まります。
渡した側が中身を扱えないまま外に出す形になるわけです。
こうなると、契約が終わってもパスワードを変える人がいない。
変え方を知っている人が、社内にいないからです。
ここで「うちは小さいから、そんな大げさな話は関係ない」と思われた方こそ、いったん立ち止まってほしいと思っています。
小さい会社ほど、一人が全部持っています。
SNSも、ホームページの管理画面も、通販サイトも、名刺管理のサービスも。
その一人が辞めるか、外部に委託するかしたとき、社内に残る人は「何がどこにあるのか」すら分からない。
規模が小さいことは、この話の免除理由にはならないんです。むしろ直撃します。
受託した側も、実は困っています
そして、ここが今回いちばんお伝えしたいところです。
関係は終わっているのに、鍵だけを持たされたままの状態が続く。
これは、受け取った側にとってもかなり居心地の悪いものです。
もし、そのアカウントで何かが起きたとしたら。
乗っ取られたのか、誰かが誤って投稿したのか、原因が分からないとき——最後に触っていたのは自分です。
関係はとっくに終わっているのに、疑われる立場だけが残っている。
だから「パスワードを変えてください」とお願いするのは、依頼主のためだけではありません。
受託した側が、自分の身を守るためでもあるんです。
これは委託先に限った話ではないと思っています。
辞めた社員の側も、実は同じ位置に立たされています。
もう関係のない会社のシステムに、まだ入れる状態のまま放置されている。
本人にとっても、決して気持ちのいい話ではありません。
「返してもらう」は、相手を疑う行為ではなく、お互いを守る行為です。
ここの認識がずれていると、いつまでも言い出せません。
明日からできること
断定はしません。私がやっている形をそのまま書きます。
A|終わるときの手順を、始めるときに決めておく
契約書に書ければいちばんいい。なければメール1通でも構いません。
「契約終了後◯日以内に、パスワードは御社側で変更してください」と、最初に書いておく。
終わるときに言い出すと、どうしても角が立ちます。「信用されていないのか」という空気になる。
でも始めるときなら、ただの事務手続きです。同じ内容でも、切り出すタイミングで意味がまったく変わります。
B|そもそもパスワードを渡さない方法がある
意外と知られていないのですが、多くのSNSや業務ツールには、パスワードを共有せずに「権限だけ」を渡す仕組みがあります。管理者やメンバーを追加する機能です。
この方式なら、終了時にやることは権限を外すだけ。パスワードを変える必要すらありません。
誰が何をしたかの記録も残ります。渡し方を変えるだけで、返してもらう作業がほぼ消えるわけです。
具体的な手順はサービスによって違いますし、仕様も変わります。
導入前に、必ず各サービスの公式ヘルプで最新の内容をご確認ください。
C|1枚の台帳
誰に、何の権限を、いつ渡したか。表計算ソフト1枚で足ります。立派なシステムはいりません。
アカウントは目に見えないから厄介なんです。工具や車の鍵なら、棚を見れば足りないと分かる。
アカウントは、書いておかないと存在ごと忘れます。
(※パスワードそのものを台帳に書き込むのは避けてください。書くのは「誰に・何の権限を・いつ渡したか」だけで十分です)
まず、数えるところから
退職者アカウントの話だと思って読み始めた方に、最後にひとつだけ。
外部に渡した鍵も、同じ棚に置かれています。
社員の分だけ数えても、棚は半分しか見えていません。
委託先、以前手伝ってくれた人、辞めた人。全部同じ棚です。
前回の記事では、2段階認証という「入口の鍵を二重にする」話を書きました。(第1回はこちら)
今回は、その鍵を誰に渡したままかという話です。
鍵を強くしても、渡した先を把握していなければ意味がありません。
対策の前に、まず棚卸しです。数えるところからで十分だと思っています。
研修先でも、こうしたアカウントの棚卸しから始めることがあります。
ツールの使い方より前に、まず何を誰に渡しているかを一度並べてみる。
それだけで、その場の空気が変わる瞬間があります。「あ、あれもだ」と誰かが言い出すんです。
石川県の中小企業は、少ない人数で、信頼関係でまわっています。
だからこそ、鍵の管理を人の善意に預けたままにしない。仕組みにしておく。
それが結局、お互いを守ります。

