
試されているのは、若手じゃない。あなたと、あなたの部長・課長だ。
「若手にどう教えるか」——その問いが、そもそも間違っている。
「生成AIを、若手社員にどう教えたらいいですか?」
金沢や富山の会社にお邪魔すると、経営者やリーダーから、必ずと言っていいほどこの質問をいただきます。
気持ちはよく分かります。新しい道具は、まず若い人から——そう考えるのが自然だからです。
でも、私はいつもこう問い返します。
「若手の前に、部長さんと課長さんは、もう使っておられますか?」
たいてい、部屋の空気が少しだけ止まります。
はっきり言います。生成AIは、若手の教育テーマではありません。
役職者にとっての"踏み絵"です。
ここを踏めるか踏めないかで、これからの数年、その人が部長・課長のままでいられるかどうかが分かれていく。私はそう見ています。
Contents
現場で何度も見た「上司の一言」で、全部が止まる光景
なぜ役職者が踏み絵なのか。若手ではダメなのか。
理由はシンプルで、現場の空気を作っているのは、いつも上司だからです。
私は研修や伴走支援で、いろんな会社の"リアル"を見せてもらってきました。
そこで何度も目にしたのが、こういう場面です。
若手が「これ、AIで下書きさせたら早いです」と言う。すると課長が、悪気なく、こう返す。
「そんなん使わんでも、手で書いたらええやろ」
これで終わりです。若手は二度と、上司の前でAIの話をしなくなる。
せっかくの芽が、たった一言で枯れる。
逆も同じで、上司自身が「俺も昨日これで見積もりの下書き作ってみたわ」と言えば、次の日には課の空気がガラッと変わる。若手が堂々と使い始める。
つまり、若手をいくら教育しても、上司が踏み絵を踏んでいなければ、投資は現場で腐るんです。
これは理屈ではなく、私が石川・富山の現場で何度も見てきた、泥臭い一次情報です。
本当の踏み絵は「使うこと」ではない。「評価できるか」だ
ただ、ここからが本題です。
役職者が自分で使い始める。それだけでは、実は踏み絵の半分しか踏めていません。
本当に試されるのは、部下を"評価する場面"です。
考えてみてください。
これまで一日かかっていた資料作りを、ある社員が生成AIを使って一時間で仕上げてきた。
空いた時間で、別の仕事にも手をつけた。
このとき、あなたの会社の部長・課長は、どちらの言葉を口にするでしょうか。
- 「もう終わったんか。手を抜いたんとちゃうか?」
- 「一時間でこの質か。空いた時間、よう使ったな」
前者を言う上司の下では、優秀な人ほど、わざと遅く仕事をするようになります。
早く終わらせたら「暇そう」と見なされ、仕事を余計に振られ、評価もされない。
だったら、能ある鷹は爪を隠す。
これが、地方の会社でエース社員が静かに冷めていく、本当の理由の一つです。
「AIで早く終わらせた」を"サボり"と見るか、"成果"と見るか。
——この評価基準を握っているのは、若手ではありません。役職者です。
だから私は、生成AIの導入を「ツールの話」だと思っていません。
これは評価制度の再設計の話です。何を評価するのか。
時間をかけたことを評価するのか、生み出した成果を評価するのか。
その物差しを持っている役職者が変わらなければ、どんなに良い道具を入れても、組織は一ミリも動きません。
そして、その物差しの見直しから逃げている限り、部長は部長のまま、課長は課長のままでは、いられなくなる。
若手のほうが、上手に道具を使い、上手に成果を出す。
評価する側とされる側が、静かに逆転していくからです。
これは「役職者いじめ」ではない。むしろ逆だ
こう書くと、「役職者を追い詰める話」に聞こえるかもしれません。でも、私が言いたいのは真逆です。
先代から会社を継いだ後継者の方、長年現場を支えてきた叩き上げの部長・課長。そういう方々が持っている「勘」や「段取り」や「人を見る目」は、簡単には真似できない、本物の財産です。
生成AIは、それを奪う道具ではありません。
その勘と経験に、新しい足を一本つけ足す道具です。
だからこそ、役職者が最初に踏み絵を踏む価値がある。
上司が自ら道具を使い、「早く終わらせた部下」をきちんと評価できるようになったとき——若手は初めて安心して力を出し、エースは会社に残る理由を見つけます。
役職者が変わることは、自分の椅子を守ることであると同時に、部下の未来を守ることでもある。
私はそう信じています。
踏み絵は、一人で踏まなくていい
「若手にどう教えるか」から、「役職者がどう踏み絵を踏むか」へ。
問いを立て直すだけで、会社の景色は変わり始めます。
とはいえ、長年の物差しを、部長・課長が自力で一人で組み替えるのは、正直しんどい。
プライドもあれば、日々の業務もある。ここでつまずいて、「やっぱりうちには早い」と諦めていく会社を、私はいくつも見てきました。
だから、私は「教える先生」としてではなく、一緒に汗をかき、役職者の隣で物差しを組み直す軍師として関わりたいと思っています。
ツールの使い方だけを教えて帰る研修ではなく、評価の場面、現場の空気、上司の一言——そこまで踏み込んで、組織が自分の足で走り出すまで伴走する。
踏み絵は、一人で踏まなくていい。
石川・富山の経営者の皆さん、その一歩を、私と一緒に踏み出しませんか。

