そもそも、人は引退するために生きているのでしょうか? ─ 大晦日に考える生物としての人間の本質

皆様、2024年も残すところあとわずかとなりました。

年の瀬に、ある切実な問いについて考えを巡らせてみたいと思います。

生成AI Claudeと作った仮想のストーリー

ある55歳会社員の場合 「あと3650日...」

田中浩一(仮名)さん55歳は、毎朝カレンダーに印をつけます。

定年までの残り日数を数えることが、ここ2年ほどの日課になっていました。

「若手に任せておけば大丈夫です。私はもう...」

会議での発言も少なくなり、新規プロジェクトの話が出ても積極的に手を挙げることはありません。

「田中さん、新しいDXプロジェクト、リーダーやってみませんか?」

「いえ、私はもう。若い人に機会を...」

しかし、その「計画的な引退」は、予期せぬ形で崩れ去ります。

「申し訳ありません。組織再編に伴い、田中さんのポジションは...」 55歳での突然の退職勧奨。

老後資金は十分ではなく、再就職も思うようには進みません。

「面接官からは『長年の経験は素晴らしいですが...』と言われるんです。でも、実は最後の5年間、自分から新しいことを避けていたんですよ。」

妻との会話も徐々に冷たくなっていきます。 「あなた、このままじゃ私たちどうなるの...」 「わかってるよ!でも、誰も雇ってくれないんだ...」

生命の本質から見る「引退」という概念

この事例は、現代社会が抱える本質的な問題を浮き彫りにしています。

そもそも、なぜ人間だけが「引退」を意識して、それに向けて人生を逆算するのでしょうか?

自然界では、鳥は最期まで巣作りを続け、蟻は群れのために働き続けます。

生物は、生きている限り、その生態系の中で役割を果たし続けるものです。

日本特有の「引退」への執着

田中さんのような例は、決して珍しくありません。

多くの日本人が、定年という一点に向けて人生を設計し、そこから逆算して:

  • 新しいスキルの習得を諦める
  • 挑戦を避ける
  • 組織内での存在感を薄める

という選択をしています。

生産性向上を阻む心理的な壁

この「引退」を意識しすぎる姿勢が、個人と組織の両方を蝕んでいます:

  1. 個人レベルで:
  • キャリアの可能性を自ら閉ざす
  • 学びの機会を逃す
  • 人的ネットワークが縮小する
  1. 組織レベルで:
  • 豊富な経験が活かされない
  • 世代間の知識継承が途切れる
  • 組織全体の活力が失われる

2025年に向けて:生涯現役という選択

今、田中さんは小規模な町工場で技術指導の仕事を始めました。

「若い子たちが『田中さんに教わりたい』って言ってくれるんです。まだまだ私にも役割があったんですね。」

定年後の人生は、「引退」ではなく「変化」と捉えることで、新たな可能性が開けるのかもしれません。

結びに 大晦日という節目に、皆様とこのような深い問いを共有できたことを嬉しく思います。

来る2025年が、年齢に関係なく、誰もが自分らしく活躍できる素晴らしい一年となりますように。

本年も大変お世話になりました。

来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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